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絶版「裁かれる自動車」の復刊

自動車排ガス51年規制実現の真実記録

(徹底抵抗した日産トヨタ環境庁 恥の歴史) 

 

 

「裁かれる自動車」は自動車排ガスの51年規制が,  無期延期から実施に逆転するまでの社会劇, 筆者が直接かかわったEpisodeをつらねて再現したものです。

 

この51年規制は、科学と技術を考える上で、特筆すべき点が二つあります。

第一は、排ガスを1/10 にするという規制自体が、実現できる技術がまったくない時に、目標値として示され、あとは、毎年技術審査を行って、1社でも実現できる技術があれば、即時規制を実施するという形で、開発の競争を促したことでした。これは米国でMuskie規制として作られた画期的なもので、日本の51年規制は、時期も内容も精神も、このMuskie規制をそっくり移したものです。

第二は、米国はこのMuskie 規制を当分延期にしたので、日本の大メーカーも政府もこれにならって当分延期と決めていましたが、日本ではここに記すような政治社会劇が起こって、実施が決まりました。その後の日本の自動車メーカーの技術開発競争は、素晴らしいものでした。自動車Engineの本格的で科学的な研究が初めておこなわれ、排ガスが1/ 10になっただけでなく, 燃焼経済性が格段に向上しました。これが日本の自動車産業が,

アメリカの市場で 圧倒的な強さを発揮し、Big Three を圧倒して飛躍する原点になったのです。

この51年規制の実施には、大メーカーと政府は、はじめ強く反対しました。それに風穴を開けたのは、美濃部都知事の発案になる「7大都市調査団」の「メーカー聴聞会」です。筆者はここで中心になって動きましたが、その筆者を社会的に葬るため、「文芸春秋」は聴聞会は「魔女裁判」であったというDemagogy Campaign (デマによる大宣伝) をおこないました。19758月です。これに反論するには、真実を正確に書けばよいと思って書いたのが、この「裁かれる自動車」です。

この本は1976年、中公新書の1冊として刊行され、すごい反響を呼び、毎日出版文化賞の第1候補に上げられましたが、不可解な理由で受賞せず、しかも初刷で絶版になり、編集者も退職させられました。さらに私を地方市大への降格させる人事が、本人承諾なしに進みました。このことは、この本が、何か絶対に触れてはならないものに触れたことをものがたっています。

そのような次第なので、表題以外は一切手を入れずに、30年前の原文のまま、正確に再版しました。

 

目次

l   7大都市自動車排出ガス規制調査団

l   公開でのメーカー聴聞会を決定

l            既発表論文はデータ隠しで役立たず

l            苦しまぎれのマツダ東洋工業

l            ホンダ技研の奇妙な飛躍

l            技術開発せず 裏で動いたトヨタ

l            徹底的に挑戦的な日産

l            調査団報告書の発表 環境庁からの攻撃

l            専門委員会との対決討論

l            専門委員会の結論出る 国会に出て批判 

l            暴露された専門委員会の「厳正な」討議

l            冷淡な世間と本当の大学教授

l            本来ならノーベル賞 熊谷エンジン 消したのは誰

l            国会で取り上げられる ウソを証言した社長

l            それから一年後 誰の目にも明らかになった

 

 

 

7大都市自動車排出ガス規制調査団

 

【都庁からの電話】

「私、都庁の田中公雄です。都として先生にお願いしたいことがありますので、今からお邪魔しでよろしいでしょうか」。大阪湾の赤潮調査から帰って一休みしていた私にこの電話がかかってきたのは、748月の蒸し暑い昼さがりであった。田中公雄さんの名前は、東洋工業の課長でありながら、自動車産業に批判的な論文を『朝目ジャーナル』に発表したため、会杜を追われる破目になった人ということでおぼえがあった。その鋭い告発の文章から想像される人柄とはちがって目の前にあらわれた田中さんは、女性的といっても良いような華奢な感じの人であった。

「自動車排気ガスに関する 51年度規制の実施は、すでに予定されていることですが、具体的なことは自動車専門委員会の報告で決まります。ところが最近環境庁でおこなわれている聴聞の様子を聞くと、メーカーは、技術的な困難を理由に、51年度規制を実質的に骨抜きにしようという魂胆と見受けられます。大気汚染防除計画を進めている自治体としては、もしそのようになれば計画全体にそごをきたすわけで、それを容認することはできません。そこで大阪府の黒田知事は、じきじき環境庁へ出かけて完全実施すように強く陳情をおこなったりしています。しかし何しろ、技術的な可能性があるかどうかという専門的な問題ですから、自治体の側で独自に専門家に依頼して調査してもらおうと美濃部知事が提案し、これが 七大都市の首長会議で決まったのです」

このような事情だから私にも専門家の一人としてぜひ調査団に参加してほしいというのが田中さんの話であった。しかし私は自動車エンジンの専門家ではない。大学では機械工学を修め、航空エンジン関係の研究で学位も取つたから、自動車エンジンについても素人ではないが、専門家ではない。大学での私の専門は、化学工業におけるシステムエ学である。最近は化学工業による海の汚染の問題、特に瀬戸内海の汚染問題に取り組んでいる。それに関連して環境アセスメントも研究しているが、それ以外は私の専門ではない。

「私は、自動車の専門家ではありませんから」と断わりかけると、田中さんは二篇の論文を取出して「でも、これは先生の論文でしよう。こういう観点から調べていただければ良いのです」という。論文は、「自動車輸送のテクノロジー・アセスメント」という題で、自動車政策のあり方をエネルギー問題との関連で論じたものである。自動車による輸送は、エネルギーの面で見るといかに無駄が多いか、もし自動車の増加傾向をこのままに放置するなら、わが国のエネルギー間題は、いかに困難な局面に直面せざるをえないかを、システムエ学の方法で、論じたものである(「公害研究」、4巻1号、1974)

「しかし私は、自動車エンジンの専門的なことはあまり知らないのです。もっと適当な人がいると思いますが」。 実際、恥ずかしいことではあるが、私はその時まで、51 年度規制についてまったく何も知らなかった。

「私どもはこの問題を、手垢のついた専門家にお願いしようとは思っておりません。手垢のついたとまではいかなくても、現在、自動車エンジンの専門家といわれる人は、ほとんどすべて何らかの形でメーカーとつながりがありますから、メーカーの意向に反するような調査がほんとにできるとは思いません。専門的な知識の有無より、そのような圧力を受けない人にお願いするのが良いと思っています」

専門家に頼んではたして本当の調査ができるかという点は、七大都市の首長会議の際にも問題になったらしい。これに対し美濃部都知事は、日本の専門家で駄目なら外国の専門家に頼めば良いという意見だったそうだ。この話はどうもお金がなくて立消えになったらしく、結局お鉢が私のような者の所へまわってきたらしい。

 

【専門という名の「神話」】

ほかに適当な人がいないからぜひ引き受けてほしいというのが田中さんの真意らしい。私はこの理窟には弱い。いままでいくつかの公害問題にタッチしてきたが、はじめから、これは自分の専門だと思ったことは一度もない。ほかにやる人がいないから仕方がなくまき込まれた問題がほとんどである。本当にどれもまき込まれたというにふさわしいだらしない関与の仕方である。ただし、まき込まれてしまった以上は、何か一つ発見があるまでは引かないぞと心に決めて努力してきたに過ぎない。

この時も、とうとう田中さんの説得に負けて、「専門」でないことにまき込まれることになった。「これでまた大学での評価が落ちるな」と思った。大学では、専門以外の分野に手を出す人間は軽蔑される。専門以外の分野に手を出すととたんに専門の能力がないかのように見なされる。それほどに神聖な専門とは何であろうか。それは講座(研究室)の名前である。私の講座は「化学工業のシステムエ学」である。したがって、私が瀬戸内海の汚染を研究するのは、とんでもない間違いだと思っている先生が多い。時流に乗ったテーマを追いかけているのではないかと軽蔑する先生も多い。自分の専門を追求する能力がないから逃避しているのではないかと心配してくれる先生もいる。しかし瀬戸内海の場合は、化学工業による瀬戸内海の汚染が深刻なことから考えて、化学工業の立場からそれを研究する必要性は、誰の目にもある程度は明らかであろう。ところが自動車排気ガスとなると、化学工業の専門家がそれを取扱わねばならない必然性はあまりない。これこそまさに専門以外に手を出す典型として軽蔑されそうである。

しかし私は、このような意味での他人の評価は、あまり気にしないことにしている。「人びとをしては語るに任せよ」である。これは独善的に見えるかも知れないが、そうではない。学者は研究の結果について責任をもつべきである。したがって、結果に対する批判には謙虚でなければならない。しかしそれ以外のこと、たとえばテーマの選択、研究の方法などについては、自分で正しいと思う道をとるしかない。他人のおもわくや評価を気にする必要はまったくないと思う。これはきわめてあたり前の事なのだが、あたり前のことがあたり前でないのは、大学も世間も同じである。

専門という内容も、かなりあいまいである。名店街の専門店ではあるまいし、のれんに書いてあることは、神様みたいにうまいが、それ以外のことは、からっきし駄目ということは考えられない。頭を使ってやることだから、一つの分野できちんとした成果をあげられるなら、かなりかけはなれた分野でも、やはり同じ程度の成果をあげられるはずである。昔は、一つの測定法、分析法をマスターするのに何年もかかるものが多かった。いまそれがほとんど機器による測定に置き換えられつつある。それとともに専門の神聖性も根拠を失った。しかしいまだに専門の神聖神話が科学者が社会的責任から逃れる口実に使われているし、公害問題を取り上げようとする良心的な科学者の気持をくじく材料に使われている。

「研究の結果について評価されればよい。それ以外の評価や評判は無視しよう」私が田中さんに説得されて、「専門」でない調査を引き受けた時とっさに頭をかすめたのは、以上のような思いだけだった。これがどんな大きな問題に発展するのかは考えもつかなかった。

 

【調査団の発足】

8 28日に調査団の初顔合せをおこたった。委員は次の 7人だった。

   

東京都公害研究所長        柴田徳衛(代表〕

関西大学工学部教授        庄司光

東京大学工学部助教授       西村肇

技術評論家            近藤完一

大阪大学工学部助教授       水谷幸夫

東京工業大学工学部助教授     華山謙

大阪府立大学工学部助手      片岡克己

 

ほとんど初めてお会いする人ばかりだ。柴田先生、庄司先生が席につくとカメラマンのフラッシュがさかんにとぶ。「七人の侍ですね」

なるほど現代の無法から村を守るべくかき集められてきた七人だけれど、海千山千の自動車メーカーを相手にどれだけのことができるか、誰も成算はありそうにない。「51年度規制は、技術的に見て本当に可能なのか不可能なのか、そのあたりの純粋に技術的な検討を今回の調査の一つの重要な柱にしたいと思います」柴田団長がいう。

「技術的に困難だって。あいつら本当にふざけているよ。やるつもりがないってだけじゃないか」近藤さんが口火を切ってつづける。「トヨタカローラは今や月産 4万台、世界第一位の量産車ですよ。そのトヨタが排ガス対策のためにどれだけの研究費を支出しているのか、経常利益に対する比率を調べてみたら良いと思う。もう一つ事実を言いましょうか。今度出るカローラの新型車からはボディーのところをへこませて、酸化触媒をのせるスペースをちゃんと作ってある。しかし売出す車に触媒なんかつけませんよ。この事実は何を物語るか。もし触媒が未開発なら必要な大きさもきまらないし、したがって、量産車にへこみをつけることは考えられないわけです、てなこと言っても、僕が言ってたんでは駄目だ。専門家にがんばってもらわなくては。本当にこの問題は、事実にもとづいて、きちんと調べたら良いと思う。事実の足りない所を補っていけるのは、科学的な論理だと思う」 七人のなかで機械の専門家は、水谷さんと片岡さん、それに私の三人だ。責任は重大だと思う。

 

 

公開でのメーカー聴聞会を決定

 

柴田「事実を集めるには、やはりメーカーを呼んで聞くということになるのでしょうね」 近藤「メーカーを呼んで聞いても、環境庁で言った以上の事は何も出てこないと思うな」

これにはみんな同感であった。6月からはじまった環境庁での聴聞では、メーカーは一致して 51 年度規制の完全実施は不可能であると主張していた。技術的に可能な暫定挽制値については、東洋工業、本田技研工業の2社が 0.6 0.7グラムなら全車種とも対応可能であるとはっきり述べたのに対し、トヨタ、日産の二大メーカーは可能な暫定値も示すこともせずに規制の 3-4年延期を主張するという開き直った態度を見せていた。特に日産は、「窒素酸化物についての日本の環境基準は問題がある。自動車排ガスが環境汚染にどう影響するかについて企業なりの疫学調査をやりたい」と露骨に環境基準そのものにまで挑戦する態度を見せていた。

「たしかに環境庁で主張した線以上の事は出てこないと思います。しかし、環境庁での聴聞は密室内でおこなわれていて、国民はスクリーンを通った情報しか知らされてない訳です。われわれが聴聞することは、聴聞内容を直接国民に明らかにするという点でも意味があるんではないでしょうか。それに聴聞のやり方次第によっては、新たなことを引き出せない訳でもないと思います」私が言った。

相談の結果、きわめて積極的な姿勢でメーカー 9社から聴聞を行なうことにした。積極的な姿勢という意味は、いままでの政府関係の各種の聴聞会の様子を見てみると、読めばわかるようなことを参考人にだらだらと陳述させ、最後にお座なりな質問をして、「ハイ御苦労様でした」というのが多いが、これでは駄目だと思ったからである。これではメーカーに言いたいことを言わせるだけになるか、うまく逃げられてしまうかのどちらかである。

われわれは、質問に対する答をあらかじめ文書で提出してもらうことにした。これを充分に検討しておいた上、当日の聴聞は12時間ずつを予定した。しかも、一方的た陳述をだらだらとされては時間が足りなくなるので、冒頭陳述は 5分程度におさえ、2時間をフルに質問と論議に使うことに決めた。協力的でない相手をつかまえて 2時間質問をつづけるのは、大変なことに思われたが、そうすることに決めた。聴聞の日取りも 2週間後の 9 13 14日に決まった。

 

 

既発表論文はデータ隠しで役立たず

 

【準備作業の開始】

この 2週問ほどがむしゃらに勉強したことはない。51 年度規制は、窒素酸化物の排出量を走行 1キロメートル当り 0.25グラム以下にすることだ。これに対し、メーカーが実績をたてに不可能を申立てている場合、これを打ち破るには、2つのアプローチが必要になる。一つは、基礎的な実験事実をもとにして、0.25グラムを達成できるエンジンが作れることを理論的に証明することである。もう一つは、メーカーの試作エンジンがそれだけの性能を示さないとするならなぜ駄目なのか、どこに努力が足りないかを具体的に示すことである。2 週間でこれをやろうというのだからまさに死にものぐるいの努力を必要とした。

エンジンに関連した学術論文は数が莫大であるし、さまざまな雑誌に分散して出ているので、それらに一通り目を通すなどということは、たとい一年かかっても不可能であろう。しかし、問題に関係ある重要論文のリストを作るだけならばさほどむずかしいことではない。学術論文には、必ず10篇内外の参考文献が明示されているから、それらを次から次にたどっていけばよい。その結果、参考にしたい文献のうちかなりのものはアメリカの自動車技術会の研究講演会発表論文の中にあることがわかった。これは大学にはない。大メーカーの図書室か日本自動車技術会にしかない。私は紹介状をもらって技術会に行き文献のコピーを頼んだ。自動車技術会は、主としてメーカーの会費で維持されている産学協同の団体である。私がどんな文献に目を通したかがメーカーにつつぬけのような気がして落ち着かなかった。

このほかに燃焼関係の論文は、機械工学の図書室を、触媒関係の論文は化学の図書室を調べなければならなかった。これらの雑誌をせっせと借りてきては、せっせとコピーした。これは大学の仕事ではないからすべて勤務時間外に一人で処理しなければならなかった。このようにして2週間の間に集めた文献は約300点、積重ねると40センチほどにもなった。

 

【意図的なデータ隠しか、使えるデータ無し】

これらの文献に、次々に目を通していった。規制値 0.25 グラムが達成可能であることを直接に示した文献は一つもない。規制値は、車の性能をあらわしたものだが、論文としては、車の性能を実験したものはほとんどない。論文は普通、エンジンの性能を扱っている。さらにこまかいものでは気化器の性能だけ、触媒の性能だけを扱っている。これらのデータから車の性能を推定するのは、設計の仕事であって、設計技師と同じような判断と計算が必要になる。たとえばエンジンの排気ガス性能は、エンジンの運転条件に応じて、排気ガス濃度は何ppmになるかという形で示されている。これから車としての性能を出すためには、このエンジンとどんな車体を組み合わせるのか、加速、減速という走行モードでは、エンジンはどんな運転条件になるのかをすべて知らなければならない。もちろんこのようなことは論文には書いてない。自動車設計の教科書やハンドブックを見て考えてみなければならない。

触媒の性能評価もむずかしい。実験室の条件では、窒素酸化物をほぼ完全に分解除去できることがわかっている触媒であってもこれを実際のエンジンにつけた場合、同じ性能を発揮するかどうかはわからない。これを判定するにはつっこんだ数量的検討を必要とする。まず実験で使われたガスと実際のエンジンの排ガスの組成が同じかどうか比較してみなければならない。もし違うならその違いが触媒の性能にどう影響するのかを実験データと理論的解析でたしかめなければならない。

こういう作業をやっていて気がついたのはこれらの論文では、ほとんど例外なく、肝心かなめなデータが抜けていて、その結果これらの論文を組み合わせていっても排気ガス性能を確実に推定することはできないということである。推定するには、どうしても大事な点を仮定せざるをえないので、推定が根拠の弱いものになってしまう。たとえば、触媒の論文では、実験に使ったガスが、実際のエンジンの排気ガスと1成分だけ違うとか、窒素酸化物の濃度が一桁違うとかである。実際の研究では、実際に近い条件で実験していないはずはない。故意にデータがおさえられているのだろう。企業が学術論文を発表する場合に商業的に価値のあるデータを故意にかくすことはままおこなわれることである。しかしそれだけではないように思われた。

51年度規制 (アメリカの場合はマスキー法 76年規制)  に関連し、きめ手となるようなデータは注意深く排除されている可能性を感じた。たとえば、排気ガス再循環という技術がある。これは窒素酸化物をへらすのに非常に有効な技術である。排気ガス再循環をどの程度かけると、どの程度まで窒素酸化物をへらせるかを実験した報告があるが、結果は、相対的に何%減ったかという形にとどまっていて、窒素酸化物の濃度とか排出量の絶対値は決して示していない。ここにも意図的なものを感じた。

結局、学術論文のなかからは、51 年度規制の可能性を証拠づけるようなきめ手はえられなかった。ただそれはきめ手がえられないというだけのことであって、いくつかの方法によれば、技術的には 51 年度規制を達成できることは、ほぼ確実であることは明らかになった。したがって、メーカーを聴聞した時もどこを押えれば良いかもわかった。このような準備をしたうえで、第 1日目は東洋工業、本田技研、日産、トヨタの4社を招いて聴聞をおこたった。

 

 

苦しまぎれのマツダ東洋工業

 

最初の相手は東洋工業である。問題は、ロータリーエンジンは比較的容易に51年度規制をクリアできるのではないかという点だ。東洋工業はこのことを否定している。量産車で達成可能レベルはキロメートル当り 0.6グラムと主張している。これは事実に反すると思われた。東京都で現に使用しているマツダルーチェ(ロータリーエンジン搭載)5台について排出量をしらべたところ、平均値は0.4 グラムであった。これらは規制が問題にならない48 年に作った車の性能であるから、もしそのつもりになって、技術的改良を加えていくならば、近いうちに 51年度規制を達成できることほぼ確実と見えた。それにもかわらず、東洋工業が 0.6 グラムを主張するのは、何か裏に理由がありそうに思えた。

東洋工業に対する質問は、すでに現在、0.3 グラム台の車が市中を走りまわっているのに、51年に可能な値は 0.6 グラムとはおかしいではないかという点だった。これに対する答は、「たしかに試作車で 0.25グラム程度のものを作ることは可能だし、できている。しかし、量産の場合は、バラツキがあり、したがって、平均値で、0.6 グラムを下まわる値を達成するのは困難」というものであった。これは明らかに苦しいいいのがれに聞こえた。量産におけるバラツキをおさえるのは、品質管理の問題でであって、自動車工業がもっとも力を入れてきた点である排気ガスの量が 0.3から 0.6 まで 2倍以上もバラツキがあり、そのバラツキをちぢめられないということは、子供だましも良いとろである。この点をついたが、決して納得のいく答はえられなかった。

0.6 という値が技術的な根拠のあるものではなく、メーカーの間でしめし合わされた数値、東洋工業に対して、足かせのようにはめられた数値であることがわかってきた。このことは、暫定値決定の直前になって、東洋工業が 0.4 グラム以下にすることも可能だと爆弾発言をするにおよんで明らかになった ( 都議会公害首都整備委員会での誕言、昭和491128)

この当時、東洋工業は、数百億円かけて開発したロータリーエンジンが、燃料を食いすぎるため極端な売行不振で、経営状態が悪化していた。ロータリーエンジンは燃料経済は悪いが、排気ガス性能は良いので、東洋工業がシェァを回復するためには、排ガス規制がきびしくきまる方が有利であった。CVCCエンジンを開発した本田技研工業にとってもやはり排ガス規制がきびしくきまる方が有利であった。このような事情があるため、51年度規制は完全に骨抜きにしようという二大メーカーの意図にかかわらず、この線でメーカーの足並みを完全にそろえることができなかったと見える。妥協として出てきたのが 0.6 グラム/ キロ という値であろう。大メーカーとしては決してこの値は認めないが、東洋工業や本田技研がその値をいうことはやむをえないとしたのだろう。ただしそれ以下の値を言うことは許さなかったに違いない。

この事情は、本田、東洋の2社ばかりでなく、三菱、富士重工など他の中小メーカーにとっても同様である。これらの会社は、いずれも排ガス対策の面で二大メーカーに水をあけるような技術をもっている。その意味で排ガス規制はきびしくきまる方が有利だ。しかし、それが直接企業の態度にあらわれるとは限らない。大メーカーの逆鱗にふれて、たたきつぶされるのを恐れるためだ。三菱や富士重工では、二大メーカーの意向にさからわず、おこぼれにあずかっていこうという勢力がやや主流をしめているように見えた。いわば「協調派」と「自主独立派」の勢力バランスが規制値に関する各企業の発言に微妙に反映していた。このように、各社の主張は「はじめに数値ありき」で、理由はあとからこじつけられたものだった。

 

 

ホンダ技研の奇妙な飛躍

 

本田技研の場合も変わりはない。本田技研は、まず自社のCVCC エンジンの優秀性を印象づけることからはじめた。試作車の段階では、0.25 グラムはおろか、0.2 グラム/ キロのものもできているという。しかし51 年度規制として実現可能な値は 0.6 グラム/ キロだという。理由は、0.25 グラム/ キロの車は、ドライバビリティーが悪くてメーカーとしてはとても売り出す気になれないという。ドライバビアリーテイが悪いとは、運転者が当然期待したように車が動いてくれないことだという。たとえばアクセルを踏み込んで加速するときにつまづき現象が起きるという。

  本田技研の主張には奇妙な飛躍がある。0.25 グラム/キロ の車のドライバビリティが悪いことが事実だとしても、それではなぜ実現可能な値が 0.6 グラム/キロになるのか。ドライバビリティががまんできる範囲内で窒素酸化物の排出量をできるだけさげたとすると何グラム/ キロになるか。これは当然の疑問である。これに対し、本田技研は、その種の実験をしたことがないからわからない、と答えた。つまり排出量 0.4グラム/ キロというような車は作ったことがないから、そのドライバビリテイがどの程度かわからないという。ではドライバビリティが改善される見通しはあるのかという質問に対しては、明確には答えず、社会がそれで良いなら0.25グラム/ キロの車を出してもよい、もし車がすべてこのCVCC車であれぱ、ドライバビリティの悪さも問題にはならないだろうと言って皆を笑わせた。

本田技研の対応はいかにも商売上手というか抜け目なく達者なものであった。徹底的に自社のCVCCエンジンの優秀性を誇示する一方で、0.6 グラム/ キロの線はくずさない。その矛盾をつかれるとドラィバビリティというつかみどころのないものに逃げてしまう。東洋工喋の「バラツキ」と違い、これは実際にその車に乗ってみないとわからない問題だし、徴妙な点が関係してくる間題だから外からは攻めにくい。メーカーのいうことを信用するしかない。本田技研がドライバピリティがいちじるしく悪いと言っているのが実際どの程度のものかは、その後自動車専門委員会の議事内容が暴露されるにおよんではっきりした。この車に乗った環境庁の小林自動車公害課長が「あの乗った程度ではそれほどでもない」と言っている(日本共産党発表、中央公害対策審議会議事メモ)

本田技研の自已宣伝のうまさ、要領の良さはすでに米国上院の聴聞会でも遺憾なく発揮されている。19735月、同じ日に東洋工業と本田技研が、マスキー委員会に呼ばれて聴聞を受けている。米国でもちょうど環境問題からエネルギー問題へ大きく振子が変わった時期にあたっていた。そこで東洋工業の場合は、排ガス性能の問題はそっちのけでロータリーエンジンの燃料経済性ばかりを問題にされた。これに対し東洋工業がなんとか暖昧な答で逃げようとするものだからかえって徹底的な追及を受ける破目になった。まさにつるし上げといって良い。気の毒に思ったか、最後にマスキー議員が「みんな素人なものだから。僕も戦争中は戦車隊にいたけれど機械はさっぱりわからなかった」.と気持をほぐすような言葉をかけている。

これに対し本田技研の場合は、陳述、受け答えとも米国人好みの明快なもので、良い印象を与えた。同じ年の 2月に出た米国科学アカデミーの報告で CVCC エンジンは別格の評価を受けていた。これは三種のガスの排出量をすべて 10分の 1にするというマスキー法の目標達成は、きわめてむずかしいものに思われ、世界中のメーカーが触媒だEGRだと苦労していた時に、エンジンのちょっとした改造だけでそれが可能だということを示したからである。このような背景があったので、委員会の雰囲気も好意的であった。

本田側も胸をはって答えている。ドライバビリティの低下はないかとの質問に対しては「よほど熟練したドラィバーでなければわからない程度」と答えている。またマスキー議員の「もしアメリカから 40万台のCVCC エンジンを注文したとすると、どのくらいかかるか」という質問に対しても、「多分新しい工場を立てる必要があり、1年から 1年半かかるだろう」と即座に答えている。マスキー法のもともとの精神によれば、実用可能な技術が一つでも存在すれぼ、規制を実施することになっていたのでこのような質問が出たと思われる。最後はマスキー議員から「聴聞会のすばらしい成功を祝福する」という言葉で送り出されている.(米国上院公共事業委員会議事録 1973 5 21)

これ程の違いはどこからきたのであろうか。技術革新という観点でみるならば、ロータリーエンジンの方が画期的な技術である。往復運動のない内燃機関を実現したいというのは、機械技術者の長年の夢であった。これにくらべて、CVCCエンジンは、たしかに性能はすばらしいものだが、内容的には、既存技術の巧妙な手直しに過ぎない。別に革新的アイデアではないし、画期的技術がつけ加わったわけではない。要するに巧妙なのである。

これを画期的発明のように言うのは本田技研のうまさである。たとえば「後処理装置なしでマスキー規制を達成」というが、これは巧妙なうそである。排気ガス中の炭化水素を燃やしてしまうサーマルリアクターがないわけではない。ただしこれがリアクティングマニフォールドという名前でエンジンと一体になっているに過ぎない。何とも巧妙な会社である。もし欠陥車のような問題で、この会社とやり合うとすれば大変だと思った。

東洋工業・本田技研の両社は、このような理由から、51年度規制がある程度きつくきまることに社運をかけていたといえる。逆に言えば、二大メーカーは、51年度規制そのものを絶対に骨抜きにしようとかかっていた。

 

 

技術開発せず 裏で動いたトヨタ

 

【同業者のうち最低の技術開発力】

さて、聴聞会の次の相手は、トヨタ自動車である。トヨタは、環境庁に対し51 年度規制は技術的に無理、実現可能な暫定値は、1.0 ~ 1.1グラム/キロと主張していた。50年度規制

1.2 グラム/キロである。

調査団の目的は、このトヨタの主張の真偽を見分け、開発状況を明らかにすることである。トヨタがあまり研究開発能力のない会社であることは、専門家の間では定評がある。同じ大メーカーの日産よりもおとると言われている。たとえばライバル車種であるカローラとサニーをくらべると燃料消費量などエンジンの性能はサニーの方がはるかに良い。しかし販売成績では、カローラが問題なくサニーを引き離していた。

自動車の場合、技術的に見て良いものが良く売れるわけではない。カローラとサニーの勝敗をきめたのは、カローラのエンジンが 100 CC大きく、全体としてちょっぴりデラツクスな感じだったためだと言われる。こういうことで成功してきた会社が、研究開発を重視しないのも当然だろう。

排気ガス対策の面でも、研究していると言いながら何一つ独自な方法を開発しえなかった。何か良いものが出たら買ってくるという方針らしい。ロータリーエンジンの技術もCVCCエンジンの技術も買い入れていた。しかしこれらのエンジンが、東洋、本田の両社では、すでに 51年度規制を完全にクリアする試作に成功しているのに、これをまねて作っただけのトヨタでは、実験室段階でいずれも 0.8グラム/キロの成績しかえられないという。そしてこれらの方式では 51年度規制達成の見通しはない、と主張した。

これは信じられない話である。技術開発においては、ある方針がきまって、ゴールが見えているならば、技術者の能力にそう大きな違いがあるわけではない。むずかしいのは、方針を見出すことと確信をもつことである。したがって、技術開発で一番重要な情報は、ある方式で成功したというニユースだという。そのことさえわかれば、かなり技術力に差のあるところでも、短期間に開発に成功してしまうことは常識になっている。それなのに、開発の見通しがないとは、どういうことであろうか。

トヨタは排ガス対策に 1500 人の研究人員を投入しているという。これは、本田披研、東洋工業の約2倍である。それでいて、これくらい何らの成果がないというのは、ある意味で見事だとしかいいようがない。これは、研究の指導に問題があると思った。そこで、研究所長に研究指導に誤りがあったとは思わないか。そのことで責任を感じないかを質問したが、顔色一つ変えずに「いやそうは思いません」と答えただけだった。

発表された論文から判断すると、トヨタの研究は、与えられたエンジンについて、圧縮比や着火時期など条件を変えて排ガスヘの影響を見るというテスト的な研究ばかりで、新しい方式を模索するという本格的開発研究はないように見える。結局、在来型エンジンに後処理装置をつけるという方式に固執しているらしい。何に固執しようとそれは自由であるが、その場合、責任は自分にある。他の方式が成功した場合には、自分の方式ではできないことを理由に、規制の延期やゆるい暫定値を主張することは許されないと考えるのが当然だろう。

在来型エンジンを使用する場合、窒素酸化物をへらす技術としては、排気ガス再循環法 EGR」と 「還元触媒」がある。EGRによって窒素酸化物をかなり低減できるが、在来型 エンジンの場合はEGRだけでは51年度規制を満足できる見込みはまったくなく、還元触媒に頼らざるをえない。したがって、在来型エンジンに固執する場合は、還元触媒の開発は有望であるという判断に立っていなければならたい。そして開発のために集中的な努力を払わなければならない。もしそうでないならば、はじめから 51年度規制を実現するつもりはないことになる。この点についてトヨタは「還元触媒を使う方式に最も期待をかけて主力を注いできました」と答えた。

 

 

【触媒を壊すだけが仕事のトヨタ技術陣】

しかしいまのところこの方式でははじめのうちは 51年度規制を完全に満足できるが、耐久性がまったくなく大体数千キロメートルで触媒が溶損してしまい、改善の見通しは、まったく立っていないという。

51年度規制を達成する方法として、触媒方式をねらうのが、技術的に見て本筋かどうかは、議論のあるところだ。たとえば、本田技研は、「触媒方式は、たとえ排ガス性能で規制をクリアしたとしても、重金属の粉を環境中にふりまく可能性がある。その影響を見定めるまで使うべきでないだろう。この問題はエンジンの改造で解決するのが本筋だ」と言う。エンジンの研究者と呼ぼれるような人は、ほとんどみんな同じ主張だ。エンジンのような堅牢な機械システムと化学的でデリケートな触媒とは適合しないともいう。

私は必ずしもそうだとは思わない。50年度規制のために酸化触媒を使う時も同じ議論があった。はじめはトラブル続出でとても使いものになりそうもなかった。やはり相性が悪いかと思われた。しかしその後触媒技術は急速に発展した。現在市中を走っている50年度規制対策車のうち大型車はほとんどが触媒方式である。

51年度規制に対しては、このほかに還元触媒を使わなければならない。ただし酸化と還元と言葉は正反対だが、COをO2で酸化するのをCO酸化触媒、CONOxで酸化するのをNOx還元触媒というだけで、内容的には、同じ酸化触媒である。したがって、還元触媒の開発では、当然、解決しなければならない独自な問題も多いが、酸化触媒で開発された技術のかなりのものが使えるという利点もある。

実際に現在すでに還元触媒方式が51年度規制をクリアする成績を示すことは、トヨタも認めている。ただし耐久性がないという。このあと聴聞した日産と三菱も同じことをいう。ただし耐久性の意味は違っていた。トヨタ、日産の場合は数千キロメートルで触媒が溶けてしまい、まったく駄目になるという。三菱の場合は、徐々に触媒の働きが悪くなって、2万5000キロメートルあたりで規制値をオーバーしてしまうという。溶損することはないかとの質問に対して、「初期にはたしかに溶損で苦労したが、研究の結果、現在はない」という。アメリカのグールド社の代表もその後、参議院の公害特別委員会で次のように証言している。「グールド社の還元触媒は、正しく設計されたシステムに用いられれば51年度規制は達成される。このことは大型車四種と小型車一種でたしかめられた」。この場合耐久テストは4万~6万キロメートルである。

この違いはどこからくるのだろう。エンジンの技術と触媒の技術が利害の反する形できり離されているところに問題があると思う。トヨタも日産も自分の所で触媒を開発はしない。触媒メーカーの開発した触媒をテストするだけだ。当然考えられる限り苛酷なテストをする。環元触媒はプラグのミスファイヤー( 点火の失敗 )に弱い。空気がそのまま触媒に入ると、急に温度が上がるためだ。現在のところ、どんな還元触媒でもプラグを全部ミスファイヤーさせれば簡単に溶けてしまう。日産もトヨタもこの意味では相当ひどいテストをしていると聞いた。

ミスファイヤーによる溶損の問題を解決するのは、触媒の改良だけではむずかしい。エンジンの側からの対策も必要だ、たとえば、ミスファイヤーすると、自動的にエンジンが止まるとか、排気ガスが触媒をバイパスしてしまう方法も考えられる。どこまでは触媒の問題で、どこまでエンジンに要求すべきかをきめるには、両方を充分に知っている必要があるが、そのような人はいない。エンジン屋は、化学にはまったく弱く、触媒屋はテストの実際さえ知らない。そして自動車メーカーはエンジンの側では、思いきった対策を立てるつもりはまったくない。エンジンの性能や生産工程が大きく変わるようなら触媒方式を採用する意味がなくたるからだ。

このような研究体制上の悪環境に加え、研究の成功を望まない雰囲気さえあるのだから、還元触媒方式が実際に成功する可能性は少ない。では、トヨタ、日産の大メーカーはなぜこの方式にもっとも力をそそぐのだろう。一種の免罪符だと思う。新しい技術を開発して51年度規制を実現しようとする気もないし、またその能力もない大メーカーが、在来型エンジンに固執するための一種の言訳けのように思えた。

トヨタの説明は、いかに触媒に耐久性がないか、いかに改善の見通しがないかを強調するばかりであった。それならそれでよい。問題は、トヨタが成功したくても、もしどこかが成功すれば、規制は実施されるということを認識しているかである。それとも自分のところが成功するまで規制は実施されないと考えているのだろうか。その点について聞きただした。きわめてあいまいな答しかえられなかったが、要するに、たとえ技術開発に成功しても、現在の生産を維持するだけの量産体制ができるまでは規制を実施すべきでない。量産のための準備期間はきわめて長くかかるということである。そして準備期間 (リードタイム) がいかに長くかかるかをくどくどと説明しはじめた。

「自動車会社としては5年間ぐらいのリードタイムが必要なわけでございます」といった。

トヨタが規制延期の口実にリードタイムを持ち出したことは明らかであった。しかしわれわれの間に自動車生産の実際を知っているものが一人もいなかったので、口実とはわかっていながら追求はできなかった。

聴聞におけるトヨタの態度は、ある意味で完壁なものだった。技術的な質問に対しては、技術者らしい反応はまったくなかった。何を聞いてもよく知らなかった。2時間かけても聞き出しえたことはほとんどなにもない。本当に知らないことは強いと思った。またトツプ企業としての社会的責任を追求されても顔色一つ変えなかった。「あんなのは人間の顔かよ」。あきれて近藤完一さんが言った。

 

【舞台の裏でのシェア拡大】

「蛙の面に水」のトヨタがその時、舞台裏では何をやっていたか。すさまじい乱売によるシェアの拡大である。公害規制の網がかかる前に割安な公害未対策車を売りまくって、シェアを一気に拡大しておこうというのがトヨタの戦略であった。そのため、15万円から20万円のダンピングをして車を売りまくったという。その結果、市場占拠率は、43 %という空前の記録を作った。そのあくどさは、自動車工業会の社長会の席上、三菱自動車の久保杜長が「トヨタの乱売は目に余る。自粛を要望したい」と異例の発言をしたほどだ (朝日新聞、昭和491223 )

 

 

徹底的に挑戦的な日産

 

1日目の最後の相手は、日産自動車である。聴聞会は朝9時からはじめて、すでに8時間をすぎていた。気がつくと下着が汗でびっしょりだ。冷水を飲み、資料をととのえなおして相手を待つ。

あらかじめ提出されている日産側の回答書に目を通す。ロータリーもCVCCも研究しているが、主力を還元触媒方式においているとのべている点はトヨタと同じである。独自な技術がない点も似ている。ただ違うのは、日産の回答書には、どの方式についても51年度規制を実現する見通しがないと書かれているだけで、その根拠になる技術開発の現状について、一切データを示していない点だ。このことは、日産自動車が国内外に発表した論文をしらべていた時にすでに気付いた点である。それらにはどこをさがしても窒素酸化物の排出量あるいは排気ガス濃度の具体的数値はでていなかった。

現在使われているエンジンについてのデータもなかった。しかしこれは秘密であろうはずはなかった。設備のあるところなら測ろうと思えば測れるからである。トヨタでさえこの種のデータは発表していた。この点についてまず質問した。排ガス対策研究室長との間に次のやりとりがあつた。

西村 現在テストしておられるエンジンでは排気ガス中のNOx濃度はどのくらいですか。

室長 運転条件によって違いますので一概には答えられません。

西村 回転数3000 rpmあたりの代表的運転条件ではどうです。

室長 データガ手許にないので正確なことは答えられません。

西村 大体の値で結構です。

室長 忘れました。

西村 排ガス対策室長が、排ガス濃度を忘れることは考えられませんが。

室長 忘れました。

次に日産のCVCCエンジンについて質問した。これは日産が独自開発したことになつているが原理、構造ともに本田技研のものとまったく同じであつた。ただし排ガス性能だけは異なるらしい。この点について実力のある技術者として定評のある専務が答えた。

 

専務 窒素酸化物は今のところだいたい1グラム/キロ前後です。ただし実車テストです。

西村 実験室ではどこまでいっていますか。

専務 実験室の資料は今申し上げられません。

西村 本田では0.2グラム/キロということをちゃんと出しています。トヨタは非常に恥ず

かしいけれど0.8グラム/キロ程度しか出なかったというふうに言っています。日産の場合はなぜ実験室のデータが出せないのですか。

専務 開発途上のデータにつきましては、それぞれ特別な目的のためのものですから、このようなデータを公表することは誤解を招くと思いますので、お許し願いたい。

西村 本田は出してますよ。

專務 私たちは世の中を誤らせるようなことはしたくない。

 

日産は、51年度規制に対しては、はじめから挑戦的な態度を示していた。19746月の環境庁での聴聞会でも、可能な暫定規制値の提示を拒否し、逆に環境庁に対し「日本の窒素酸化物の環境基準は世界で一番きびしい。緩和の方向で見直してほしい」と要求した。記者会見でも「窒素酸化物についての日本の環境基準には問題がある。自動車排ガスが環境汚染にどう影響するかについて企業なりの疫学調査をやりたい」とのべた (朝日新聞、昭和49612)

また同じころ発行された日産自動車発行の、『自動車工業ハンドブヅク』(修理業者向けマニュアル)には

51年度規制値はゆるめられる可能性あり」

と堂々と書いている。「可能性あり」という言葉は、努力を求められている当の企業が、専門委員会の審議さえはじまらない前にハンドブックに書き記す種類の言葉であろうか。

 

 

調査団報告書の発表 環境庁からの攻撃

 

【報告書の作成】

翌日は中小メーカー 5社の聴聞をおこない、そのあと、報告書の作成について相談した。委員会の報告書は、事務局が原案を作り、委員は手を入れるだけなのが普通であるが、今回はそうはいきそうもなかった。2日ほど合宿して共同で書き上げることが提案された。これに対し私は、専門的問題については、学術論文と同じように、委員が個人の責任で報告を書くことを提案した。書かれたものに責任を取るにはそれが一番良いからである。ただしこの形にすると、技術的可能性に関し、水谷委員のと私のと二つの評価報告書ができてしまう。「一つの報告書のなかに二の異なる評価がならぶのはまことに具合が悪い」という行政サイドからのクレームがあったが、結局私の提案が認められた。

科学者が協力するにはこの形以外にないと思う。科学者は「事実」に対してはきわめて素直だが、人の「意見」に対しては寛容ではない。妥協ができない。したがって科学者の間の協力は、論文の提出、それに対する批判という形をとるのであって、寄せ集めた意見を調整して共同で論文を書く習慣はない。もし無理して共同で報告を書くとなれば、どうしても無難なものあるいは無責任なものにならざるをえない。

このおかげでわれわれは、学術論文を書くのと同じ気持で、自由に報告を書くことができた。しかしそれだけに責任は明白であった。このことは新しい効果を生むことになった。報告書に対する批判をより直接に自分に対するものとして受けとめることになるからである。そして報告書についての責任は、調査団解散後も各個人に残ることになった。専門家としてはそれが当然のことと思う。

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    【結論:規制は実施可能】

51年度規制実施の技術的可能性に関する報告を私は9月中に書きあげた。ロータリーエンジン、CVCC、触媒方式に分けて技術開発の現状と見通しをのべた。

ロータリーとCVCCが充分に可能性をもつことはメーカー自身で認めていることであり問題はない。議論の本命は、大メーカーが主力をおいている触媒方式だった。これについては、在来型エンジンの排出量、排気ガス再循環による低減の可能性、触媒活性の劣化の原因とその克服の可能性を慎重に論じた。ここでの議論はあとで見るとおかしなほど内輪である。たとえば結論として「1,000 cc程度の小型車の場合は、EGRの適用によりNOxの排出を0.8グラム/ キロ程度にすることは可能である」と書かれている。しかし、この時すでに対米輸出用の日産ブルーバード 1600 cc  75年対策車は、NOx排出量0.6グラム/キロの成績を達成していた。このことは米国科学アカデミーの報告に出ていたのだが、私は当時これを知らなかった。

結論として、51年度規制あるいはそれに非常に近い線は技術的に完全に実施可能であろうと記した。近い線という意味は、予測の精度から見て、達成できるレベルが0.25グラム/キロなのか0.3なのか、達成できる時期が51年はじめなのかおわりなのかというこまかい点まで予測するのは意味がないと思ったからである。

予測とはいいながら、これは自然現象の予測ではない。技術を開発するのはメーカーであるからメーカーが意識的にさぼったのでは予測はあたるはずがない。このような点に注意したあと、最後に次のように書いた。

「必要なデータをえられずにおこなった予測であるから、一部、やや粗い推論に頼らざるをえなかった所もある。その推論が間違いだとするならば、その責任は、データを秘匿しているメーカーにあると考える。もしメーカーがその推論は成り立たないと主張したいなら、メーカーはその根拠をデータをもって示す義務があると考える。われわれはいくらでも技術論争に応ずる用意がある」

 

 

【環境庁からの攻撃】

1021日に報告書を発表した。緊張して待ち受けていたが、メーカーからはなんの反論も

出てこなかった。ところが、2,3日後にまったく思いがけない方角から攻撃を受けた。衆議院で環境庁の大気保全局長が自民党議員がこの報告書についておこなった質問に答えて、次のように述べた。「レポートを読む限り先生(議員)の考えは正しい。(報告書の結論は)科学的推論でないと思う」また他の議員の質問に対しても「確信をもった評価とはいえない。羊頭狗肉の感がある」と述べたのである (朝日新聞、昭和491024)

環境庁から攻撃を受けるとはまったく予想外であった。メーカーの反対をおさえても規制を実施すべき立場にある環境庁にとっては、われわれの報告は援護射撃だったはずだからである。「科学的推論でない」という批判も限られた条件のなかで精一杯の科学的推論を目ざした私にとっては、最大の侮辱と受けとられた。私は猛烈た反論の談話を新聞に発表した。

環境庁の局長のこの発言を契機に排ガス規制問題に対する一般の関心が急に盛り上がってきたのは皮肉である。ちょうどこの頃、自動車公害専門委員会では、規制の3年延期という意見が大勢をしめたことが報道されたため、専門委員会と七大都市調査団との討論を望む声が強くなった。この声に押されてか、環境庁から調査団に対し、自動車専門委員会に出席し説明をしてほしいと要請があった。1週間前の記者会見では、八田委員長は調査団を招いて意見を聞く意志はないといったばかりである。ただし会見の時間は30分だという。

わずか30分の説明では、相手に調査団の意見も聞いたという材料を与えるだけに終わってしまうおそれがある。そこで内部で相談した結果、出席の条件として、聴聞でなく討議とすること、時間は制限しないこと、討議を公開することを要求した。

これに対し、討議と時間の件は同意してきたが、公開については前例がないので認めないという。たしかにこの委員会はそれまで完全に機密のとばりに閉ざされていた。委員会が終わったあと、事務局が簡単なメモを手にして記者会見するだけであって、具体的な討議内容はうかがい知るすべもなかった。これはおかしいと思う。専門的な討議ならば、公開でやってかまわないはずである。このような専門委員会の密室性を打破するために、われわれは公開を要求した。しかし、相手はこれだけはどうしても応じなかった。そこで、やむなく共同記者会見をすることで妥協した。

 

 

専門委員会との対決討論

【環境庁に乗り込む】

116日、専門委員会との討議のためわれわれは環境庁に出向いた。カメラの放列がしかれ、まさに乗り込むという感じであった。私も緊張していたらしい。あとで気がついたら背広の上下が違っていた。会場の入口付近は人垣でうまっていて入れない。自動車公害に悩むお母さんたちが八田委員長を取り巻いて討議を公開するように必死になって要求しているのだった。

やっと会場に入る。正面が委員長の席、右側に環境庁、運輸省など行政関係者、左側に専門委員がならんでいる。そのうしろにもう数人座っていて、熱心にメモをとっている。その一人がどんな人かはやがてあきらかになる。問題の発言をした大気保全局長はわれわれが入っていくと具合悪そうに逃げ出してしまった。ただし廊下でさっきのお母さんたちにつかまってさんざん油をしぼられたそうである。

やっと主婦たちから解放された八田委員長は、われわれの報告書について、次のようにコメントした。「よくまとめてある。データもよく集めてある。委員会でもこれ以上のデータは多くない。技術開発の見通しについては、大きな意見の違いはない。われわれの方はまだ報告書のような具体的な検討は何もしていない」

非科学的という非難に反論しようと思っていた私たちは、完全な肩すかしをくらったことになる。専門委員会では、三年延期・暫定値という意見が大勢を占めたと伝えられていた。われわれは委員一人一人にその根拠を聞き、徹底的な技術論争をするつもりだったのに、まだ委員会では、全部の委員から意見を聞いてないという。

結局、討論といっても、委員会側がわれわれの報告書について質問し、われわれが答えるだけの形になってしまった。まるでわれわれが追求されているようだ。しまったと思うがどうしようもない。

委員長は、技術開発の見通しでは大筋で同意できるといいながら、規制値は51年に量産可能な値でなければならず、そのための技術は2年前の現在にすでに開発完了していなければならないという。極端な議論だと思うが、われわれの側に量産に関する知識が少ないので、充分に反撃できない。

ほかに質問してくるのはあと二人の委員だけである。残りの七人の委員は、不気味に沈黙を守っている。あとで調べてわかったのだが、この七人は、エンジンの専門家ではない。51年度規制の技術的可能性を検討する専門委員会といいながら、エンジンの専門家と呼べる人は委員長をふくめたった三人しかいなかったのである。

その一人、日野自動車副社長の家本委員は、さすがいろいろなメーカーのデータに通じているらしく、それを必要な時必要なだけ、自信たっぷりにちらつかせては、もっぱらわれわれの報告のあげ足とりばかりをやる。それでいて自分の方は積極的に何一つ言わないから、こちらはたたきようがない。

結局、肩すかしやあげ足とりやらで討論らしい討論にならず4時聞の会見が終了した。つづいて共同記者会見をおこなった。八田委員長は、技術的可能性については、技術的な判断に差はないとして対立をさけつつ、量産に必要な準備期間 (リードタイム) の点では多少考え方が違うとして肝心なところを逃げた。

家本委員はここでも黙ってはいなかった。たまたま気づいたようなふりで、水谷助教授の報告書におけるトヨタの資料の引用の誤りを指摘した。CVCCについてのデータを他の方式にも誤って適用しているというのだ。水谷助教授の説明では報告書の記述を変える必要があるほどの問題ではなかったが、一瞬どきりとさせる一幕だった。この問題を討論の席では出さず、わざわざ記者会見の席で指摘したのには大きな作為が感じられた。

当日の家本委員の言動は、自動車工業会の内部で充分に相談し準備されたものだと思う。そのことを証拠立てる文書を私はあとになって手に入れた。「七大都市調査団報告書に関する見解」と題するもので自動車工業会の発行になっている。内容は水谷助教授と私の報告についての反論であるが、そこにあげられた諸論点は、当日の家本委員の質問とまったく同じである。ところが不思議なことにこの文書は公表されなかった。

家本委員は、日本自動車工業会の安全公害委員長である。専門委員会の中では自動車業界代表として振舞っていた。われわれとの討論の際も、たえず「われわれメーカーは」と前置きして発言していた。このことに他の委員は何の疑間も感じていなかったように見える。厳正中立な立場で専門的な議論をする場だから公開は望ましくないといってお母さんたちを追い返した八田委貝長も、メーカー代表がいるのはあたり前のことと思っていたらしい。

お母さんたちが追い返された入口から入って来たのはメーカー代表家本委員だけではなかった。自動車工業会の事務局 技術部長が堂々と入っていたのだ。あとでわかったことだが、会場の左手、家本委員のうしろで熱心にメモを取つていたのがその人である。彼は毎回必ず委員会に出席し、各委員の発言内容を克明にメモした完璧な議事録を作り、これを各自動車メーカーに流していたのである。国民が審議内容についてまったくつんぼ桟敷におかれていた時に、メーカーはたなごころ見るようにそれを知っており、対策を立てていたのである。このことは、1月31日の衆議院予算委員会で, 共産党の不破書記局長が明らかにし、大きな政治問題にまで発展した。しかし当時私たちは、これほどひどい事がおこなわれているとは想像できなかった。

専門委員会との討論は本来ならわれわれが相手を徹底的に追求できる場であったのに相討ちのような形で終わったという点で、完全にわれわれの作戦上の負けであった。これは専門委員の性格についていささか幻想をいだき、真の性格を見誤ったことが原因と思う。

 

 

【延期の理由をリードタイムに移す】

専門委員会との討論の結果、技術開発の見通しについて、われわれの報告書の正しさを認めざるをえなくなった相手方は、リードタイムを口実にして逃げ込みを考えていることが明らかになった。われわれの推定には当然リードタイムも含まれていたが、あまりくわしい検討はおこなっていなかった。この弱点をつかれたのである。トヨタ、日産は3 ~ 4年のリードタイムを主張しているとも伝えられてきた。

私は、リードタイムの内容を事実にもとづいて明らかにする必要を感じた。さっそくハンドブックや専門誌を見てみたが、一般的なことは書いてあるのに、各段階ごとにどれほどの期間が必要かという具体的な数字になると、不思議なほど記述がない。新車種の企画、設計、試作、テストといったことはメーカーの最高機密なので、たとえそれがすんだあとでも資料が公表されることはないらしい。したがって、リードタイムに逃げ込むのは、この上なく巧妙な方法だったことになる。

困ったあげく、ふと社史を調べてみたらと思いついた。この種の記述は、やはり少なかったが、たまに試作や試験がいかにすみやかであったかが得意気に記されているのにぶつかった。特に日産自動車の社史は、現在の日産の秘密主義とはうらはらに、歴史的記述が具体的で大いに役に立つことがわかった。

スタイルが承認されてから、その車がコンベアラインで量産開始されるまでの期間をリードタイムと呼ぶが、この期間はセドリックとかパブリカとかまったくの新車種を送り出す場合でも2年~2年半であった。現在はコンピュータの利用でこの期間ははるかに矩縮されていると思われる。

この期間内にやらねばならいことは、数回にわたる車体とエンジンの試作とテストのくり返しである。テストのうちでも特に耐久テストに時間がかかる。これが終わるとプレスの型や工作機械を準備し生産ラインを組立てる。メーカーはこの一つ一つが非常に時間をくうことを強調するのだが、私は、各段階に必要な時間を実例によって明らかにした。そのうちの傑作は 耐久走行テストである。トヨタはコロナの走行テストをわずか58日でやっている。1 1700 キロの強行軍である。生産ラインの組立てもはやい。トヨタの高岡工場では建物を建てはじめてから車が出だすまでに6ヵ月しかかかっていない。

この研究の結果、排気ガス対策技術の開発完了後、量産開始までの時間は、普通の意味のリードタイムとは異なることが明らかになった。排ガス対策でのリードタイムは、CVCCの場合約1年、触媒方式でも1年半と推定される。

私はこの結果を12月3日に発表した。12月5日の専門委員会で答申の最終審議がなされる予定なので、牽制球のつもりで投げた。っまり、技術開発の見通しについて、われわれに同意したのであるから 1 ~ 2年の延期で完全実施を決めるべきではないかということである。

 

 

専門委員会の結論出る 国会に出て批判 

 

専門委員会の最終審議がおこなわれる125日が近づくにつれ、この問題に対する国民の関心は高まり、いろいろな動きもはげしくなった。東洋工業は、東京都議会での証言で、とうとう0.4グラム/ キロが可能であることを明らかにした。

そして125日、夜おそくにやっと専門委員会の結論が出された。51年度規制は二年延期、暫定値は小型 0.6グラム/ キロ、大型0.85グラム/ キロというものであった。これは、予想以上の後退であった。この同じ委員会が47年にきめた規制値設定の方針に従えば、メーカー自身が公表している資料から見ても、暫定規制値は0.4グラム/ キロ程度であるべきだった。2段階規制である点も問題だった。さらに問題なのは2年延期でもそのあとに完全実施の見通しがないことだった。これらの問題点については、ちょうどその翌日、参議院の公害特別委員会で私が意見をのべたので、ここにそのまま引用しておく。

「この答申の内容で一番問題なのは、正直者がばかを見ることです。開発努力を一生懸命やったところはきつい規制をうけ、しなかったところはゆるくなるということで正直者がばかを見るということが完膚なきまでに示された。そこが一番問題だと思います。

次に問題な点は、2年延期してそれ以後再審議するということです。これは事実上無期延期のことではないかと思います。われわれとしても51年度規制が51年度中に終わらなげればならないと、がんこに主張しているわけではありません。どうせ先のことですから1年数ヵ月というような延びはあると思います。肝心なことは、次の規制は、絶対にやるとはっきりきめることだと思います。やってできなかったら先に延ばすというならば、技術はいつまでたっても完成されないと思います。この場合も今回の答申が一番悪い例を示したわけです。つまり正直にやればばかを見ることを示しておいて次にこの次の規制は状況を見てやるというならば、だれが一生懸命技術開発をするでしょうか。

それからもう1点、大型と小型の分け方がたいへん問題だと思います。現在小型のシェアは70% 程度あります。しかし規制が実施される51年、53年には、このシェアがどの程度になるとお考えでしょうか。個人需要は大型車に移っていくはっきりした傾向があります。そこへもってきて、小型車の方をきびしくすれば、当然燃費がかさみ、値段も高くなる。小さい車が高くて燃費がかさむならまず人が買わないでしょう。それよりも大体メーカーがそいう車を今後もつくっていくでしょうか、買いたくても買えないような事態になるんじゃないでしようか。つまり今回のような措置は、車を大型化していくというメーカーのたえざる努力にますます拍車をかけるものだと思います。私たちは2段階規制に全面的に反対するものではありません。しかし大型車をゆるくするのを許すのは、例外としてみとめるべきだと思います。たとえばきびしい規制にミートした車を10台作ったならば、ボーナスとして例外車をつくることが許されるぐらいに生産のワクをはめるならわかりますが、それでない二段階規制はまったく理窟に合わない規制だと思います。

最後に私が申し上げたいのは、八田委員会がどういう根拠にもとづいて、こういう報告を出したのかです。委員会が判断の根拠とした資料を全部公開していただきたいと思います。次に、それらの資料に基づいてどういう議論をしてこの結論が出たのか、討議の全議事録を公開してほしいと思います。討議の過程は公開されなくてけっこうだと思います。しかし討論の結果出した最終報告に関しましては、その討議の内容を完全に公開するのが専門家の責任だと思います。特に委員会の委員一人一人に申し上げたい点は、(八田委員長に向かって) あなた方はほんとうに専門家として責任をもってこの報告をお出しになったかどうか、国民の前に専門家として納得のいくような説明をお一人お一人できるのかを伺いたいと思います」

 

八田委員長は、私のとなりに座っていたが、顔にはまったく血の気がなかった。

 

 

暴露された専門委員会の「厳正な」討議

 

討議の内容を公開せよという要求を環境庁はかたくたに拒否した。しかし、さきにのべたように自動車工業会がとってメーカーに流したメモを共産党が入手して国会で発表したから、現在われわれは、当日の専門委員会の様子を克明に知ることができる。

当日どんな専門家らしい討議がおこなわれたかを、自動車工業会作成のメモによって見てみよう (日本共産党発表、中央公害対策審議会議事メモ)  まず、暫定規制の適用期間を2年にするか3年にするかで意見がわかれている。家本委員は強く3年を主張する。それに対して

 

山手 5312月までとすれば今から4年ある。

家本  51年暫定対策で手一杯。次のステップに入れない。

八巻  国内だけの技術開発だけを考えてはいけない。外国の技術も考えて。対米輸出のことも考える。78年規制が必ず延期されるかどうか分からない。

 

八巻氏のいう78年規制とは、米国マスキー法78年規制のことで、わが国の51年度規制はこれとまったく同じ内容である。米国では、はじめ、この規制を76年に実施予定だったが2年延期され, 78年規制となった。わが国の政府と自動車業界は、米国の76年規制に時期と内容を合わせて51年規制を作ったが、米国がとりあえず2年延期したので、とりあえずの2年延期は当然と考えているらしい。彼らの本音では、わが国の排ガス規制は、あくまで対米輸出のため手段であろう。国民の健康を考えたからではないらしい。八田委員長は2年という説であるが、その理由を次のように説明する。

 

八田 アメリカが延ばさないとすれば78年。時期を合わせれば53年度。政治的問題と技

術的問題が干渉している。53年度にせざるをえない。その時点でまた暫定値。

 

八田委員長はあくまで政治的な配慮から2年説を主張しているのであって、その時点で完全実施するつもりははじめからない。

 

次に規制値の問題に入り、規制値は1本か2本か、その数値、2本の場合の小型車の範囲について各委員が意見を出した。環境庁の自動車公害課長が次のように発言している。

 

小林 本来1本が望ましい。可能性のあるきびしいもの。小型車の範囲については、1トンの車を見ると、トヨタ、日産を除くとこのクラスは出来ると言っている。その意味では1トンを入れざるを得ない。(正論である。この議事録のなかで、外に聞かれて恥ずかしくない発言をしているのは、専門委員でないこの課長だけである)

家本 0.9 1本であとインセンティブと違うのか。

小林 0.6が出ている。 0.6  1本でやるべきだ。それで切捨をやらないとすると

0.60.9では差がありすぎる。 0.9  1本で低い方を優遇するには、ユーザーコス

トを含めて 20万円位差が必要。現実には不可能。

春日 精神的には 0.6  1本。大きい方は例外的に考えたい。

八田 技術的にはむつかしい所。政治的に考えたい。

 

「羊頭狗肉」で名高い春日局長も八田教授にくらべたらまるで、政治性が欠如している。

大型車に対する規制値はほとんど全員が 0.9を主張していた。多分日産が 0.9ならできる

というデータを出したからだろう。しかしトヨタは委員会に提出した資料では、1.0 ~ 1.1グラム/ キロと主張していた。0.9 という値について小林課長が疑問を提する。

小林 0.6 0.9 の格差は大きすぎる。どんな車でも 0.9なら受けるという話。トヨタは0.9 なら出来ると言っている。メーカーの言いなりである。事務当局としては、0.9をいただいてもどうしようもない。

八田 (では) 0.85

ここで突然 0.85という中途半端な数値が飛出したのである。八田委員長の絶妙な政治的インスピレーションだろうか。他の委員にはトヨタのことは寝耳に水だったらしい。

 

八巻 トヨタのそんな資料があるのか。

小林 ある先生(国会議員?)から環境庁長官が渡された資料。

八巻 そんなものがあるとすれば委員会に配られた資料との関係は?

小林 メーカーのいうことが信用できない。今迄、1.1 ~ 1.0 しか下らないと言っているのが 0.9 になった。

八巻  感情論はよくない。

(委員長提案で いったん休憩後 再開)

八田 1トン以下 0.6 、それ以外、0.85でどうか。

これで神聖な専門委員会の結論は下されたのである。

 

 

冷淡な世間と本当の大学教授

 

【冷淡な技術者たち】

私たち七大都市調査団は、よく奮戦し、世論もそれを支持してくれたと思うが、残念ながら、われわれの活動は、専門委員会の結論に大きな影響を与えることはできなかった。まったくできなかったといってもよい。その理由は、われわれが提出したものが、結局は推論だからである。いかに事実にもとづいていようと、決定的なところは推論であった。決定的な事実そのものを提示することはできなかった。これはやむをえないことであった。決定的な事実をにぎっているのは、メーカーの技術者である。ところがわれわれの活動に対しては、これらの人たちのいかなる協力も期待できなかった。そして事実それは皆無だった。

これくらい大きな争いになると、いわゆる「たれ込み情報」があっても不思議でないが、これが一件もなかった。「こんな文献がある」と一行葉書で知らせてくれるだけでも助かる問題は山ほどあるのに、それも一つもなかった。たとえば、日産が51年から可能なレベルは 1.1グラムと主張していた時、日産の74年型対米輸出車のNOx排出量は 0.75グラム/ キロを記録していた。これは Federal Register (アメリカの官報) にのった米国環境保護庁の報告を見ればすぐわかることだ。われわれはこれを知らないために推論に頼らざるをえなかった。ところが誰もこの「フェデラルレジスター」の存在を教えてくれなかった。私が聞いたのはアメリカ人からだ。日本の大企業は、その技術者たちの完壁なまでの忠誠心に自信をもってよいし、それを誇ってよいと思った。

 

 

【本当の大学教授】

大学でも状況は似たようなものであった。125日の2,3日前だったと思うが、世間が騒

然としている時、東大工学部内ではじめて、田中公雄さん、近藤完一さん私の三人を講師にむかえて、この問題に関する討論会が開かれた。ところが集まった学生は、主催者を除けばわずか10数名であった。工学部約2000名の学生のうちの10数名であった。客寄せのために上映されたオードリー・ヘップバーンの「おしゃれ泥棒」という映画には何100名という学生が集まるのに、つづいて開かれるこの種の集会には、ほとんど出る学生がない。

ところが、この会に教授が一人出席しておられた。熊谷エンジンの発明者、航空工学の熊谷清一郎教授である。先生には、大学院の時に習ったことがあるが、なにごとにも筋を通されるこわい先生だった。この内燃機関の神様のような先生が、正面に座って、黙って話を聞いておられるので、専門でないことをやることにいくぶんのやましさを感じていた私はすっかり緊張してしまった。私たちの話が終わったあと、先生にコメントをお願いした。先生は私たちの話に批判めいたことは言わず、逆にエピソードだと言って次のように話しはじめた。

51年度規制はやろうと思えばやれたのです」そしてびっくりする皆を前につづけた。

「メーカーは、いまになってリードタイムが足りないというようなことを言っているが、これは、51年度規制は実施させないという見込みをもって、すでに生産ラインの準備をしているから足りないということになるのです。中公審がそういうメーカーの態度を容認していることが問題なのです。技術的に可能、不可能ということではなく、政治的に不可能ということです」

先生は、はっきりと言い切った。先生の話は、いつも事実にもとづいている。憶測を語ることはない。この話も、メーカーの態度についてなにかはっきりした事実をつかんでのことだろうと思った。もう少し具体的にうかがいたいと思ったが、あまりにも重大なことであるし、また日頃アカデミックな先生の性格から考えて遠慮した。

先生は、「熊谷エンジン」( 正式にはRich-lean Reactor Engine ) の発明者としてより、燃焼の研究の最高峰として有名である。国際燃焼学会で論文賞をもうけた時、最初の受賞者になったのが先生である。受賞対象はガソリンの液滴の燃焼に関する研究であった。同じ研究は日本でも外国でも数多くおこなわれたが、先生の研究が特にえらばれたのには理由がある。この研究に不可避的に存在していたある基本的な推論を事実でおきかえてみせたのである。

液滴の燃焼の実験は、普通、石英糸の先に燃料の滴をつるしておこなう。この場合、液滴はちょうど「人だま」のような形で燃える。ところがこれは、エンジンの中で実際におこっていることとは違う。エンジンのなかでは液滴は球状でもえるはずである。ところが実験では液滴が大きいのでどうしても人だま状になってしまう。人びとはやむなく人だま状の燃焼の実験から球状の燃焼の様子を推論していた。

熊谷先生は、実験で球状の燃焼を実現しようとした。それには「無重力の場」で実験をすればよい。昭和25年頃、研究費も研究資材もほとんどない時代だった。先生が考えた方法は、実験装置とカメラを一緒に自由落下させる方法である。そこで大学の建物の4階から3階にかけての吹抜けを利用して自由落下する箱の中で燃焼実験をおこなった。3階にはショックをやわらげるためふとんを積んでおいた。この結果、世界ではじめて球状にもえる液滴の写真がとれた。これは決定的な業績として評価された。

この熊谷先生が新しいエンジンを発明したことも、またそれが51年度規制を達成する有力た侯補だということも、もちろん私は知っていた。しかし七大都市調査団の報告書では私はこれを取り上げなかった。理由は一つにはデータが全然手に入らなかったことであるが、もっと根本的な理由は、このエンジンは理窟の上ではたしかにすぐれているがとても実用にならないだろうと勝手に判断してしまったためである。「熊谷エンジン」には振動がつきもので、乗り心地の点で実用化がむずかしいと判断してしまったのである。

実はこれはまったくの誤解だった。しかし当時は、内燃機関の大御所である富塚清先生もそのような意味のことを書いていた。また七大都市の聴聞の際、触媒のこともEGRのことも驚くほどあけすけに答えてくれた三菱自動車が、熊谷エンジンについては「まだまったく実用になる段階ではない」というものだから、つい信用してしまった。私の気持のなかにも、熊谷先生のような純粋な学者が考えたものが、そう簡単に実用になるはずはないと思う気持があった。

やがて、三月に停年退官する教授の最終講義の立看板が立ちならぶ季節になった。熊谷先生もこの年に退官になる。私はぜひ先生の最終講義をききたいと思ったが、ついにその立看板を見なかった。3月になって、愛弟子の木村教授にうかがうと、もう最終講義はすんでしまったという。立看板は、先生がきらいなので立てなかったという。私がぜひ最終講義をききたかったむね先生に伝えていただくと、「それほどなら君一人を相手に最終講義をしてやるから家にこい」というお話だった。

こうして私は一人できわめて貴重な最終講義をうかがうことになった。内容は、熊谷エンジンとその開発の経緯である。 (大学での本当の最終講義には、航空学科の歴史と大学の問題を話したたそうだ)

 

 

 

本当ならノーベル賞 熊谷エンジン 消したのは誰

 

【熊谷エンジンとは】

熊谷エンジン」は外見上普通のエンジンとほとんど変りない。特徴は、燃料の供給の仕方を調節して、普通より燃料の濃いシリンダーと薄いシリンダーを作ってこれを一組にして同時に爆発させる点である。燃料を普通より濃くしても薄くしても窒素酸化物の量をへらすことができる。ロータリーエンジンは過濃方式だし、CVCCエンジンは過薄方式である。過濃方式にも遇薄方式にも一長一短がある。燃料経済の点からは過薄方式が良い。しかし過薄方式ではNOxの排出量を51年度規制のレベルまで下げようとすると、まずエンジンの力が不足してくる。CVCCエンジンの場合は、エンジンの摩擦を小さくする工夫をしてこの力不足をおぎなっているらしい。

この他にサーマルリアクターがきかなくなる問題がある。過薄方式でも未燃の一酸化炭素や炭化水素を排気管の途中で燃してやる必要があるが、過薄方式ではこの部分の温度が充分にあがらず、サーマルリアクターだけではCOHCの処理がむずかしくなる。したがって、NOxの低減にも限界が生ずる。教授によれば、0.3グラム/ キロ程度が実用的限界であろう、という。過濃方式では、この問題がないので、NOxの排出レベルをさらにひきさげることができる。しかし、こっちはサーマルリアクターの耐熱性の方から限界がくる。

「熊谷エンジンの原理」は、シリンダーを過薄と過濃の二組に分け、過薄・過濃を一つずつ組み合わせて同時に爆発させ、二つの排気ガスを同時にサーマルリアクターに導いて混合燃焼させることである。これによって、過薄方式でサーマルリアクターがきかなくなるという問題を解決できる。また、過薄方式の力不足、過濃方式のサーマルリアクター過熱の問題も緩和される。燃料経済性は過濃方式よりすぐれ、過薄方式と同程度にできる。

熊谷エンジンの原理は、教授の研究と同じように単純明快である。問題は実際にやってみて、理窟どおりうまくいくかどうかである。表9の上段は、三菱自動車の6気筒のエンジンについての結果であるが、NOx 0.22CO0.48HC 0.0グラム/ キロとゆうゆう 51年度規制を達成している。特にCOHCが規制値よりはるかに低いすばらしい成績を示す。

ところが熊谷エンジソ方式の一つの欠点は、そのままでは、日本の乗用車にもっとも広く使われている直列 4気筒エンジンにそのまま適用できないことである。この種のエンジンでは2回転を1周期とし1/2 回転ずつの間隔で4回点火せねばならない。熊谷方式のように2個同時に爆発させると点火間隔が不揃いになって実用にならない。熊谷エンジンの原理を生かすには点火間隔をそのままにして、1/2回転だけずれて排出される過濃側と過薄側の排出ガスをサーマルリアクターのなかでうまく混合し燃焼することができればよい。そのためには、サーマルリアクターの従来の考え方をかなりかえたものにする必要がある。これは疑似熊谷方式とでも呼ぶべきものだが、実際にはこれでうまくいくことが数多くの実車テストで証明されている。表9の下段はその結果を示す。一酸化炭素が先の例にくらべて多いが、51年度規制は完全にクリアしている。特に炭化水素はまったく検出できない。

この実験車には、熊谷教授も乗って、ドライバビリティー、乗心地ともにまったく問題がないことをたしかめている。完全な成功である。このように熊谷エンジンは51年度規制に対する技術的可能性が存在することを留保条件なしに完壁に実証した。このことを熊谷教授が学会 (自動車技術会) で発表したのは 49 5月である。専門委員会の報告のでる半年も前である。しかし専門委員会は次のような理由をつけて、この完全な成功をなきものにしたのである。

「改造エンジン (熊谷エンジンのこと) が大量生産可能ということではなく、直ちに実用化可能とはいえないし今後さらにシステムとして耐久性、信頼性など多くの検討が残されている。またこの方式について研究開発を行なっている日産における現状は2400 ccの試験車においてCO 0.66 ~ 1.5 HC 0.03 ~ 0.14 NOx 0.6 ~ 1.04 グラム/ キロであってまだ実験室段階において 50年度規制を達成しているのに過ぎない」

この文章が51年度規制最後の息の根を止めたともいえよう。当然そこには許しがたい欺瞞がある。まず量産性の問題であるが、熊谷エンジンの構造は在来エンジンとほとんど異なるところはないので、生産ラインのほんの一部の手直しだけですぐ量産可能である。量産に対する障害などありはしない。これは専門家なら誰でもわかることである。そしてこのことは企業もあとになってはっきり認めた。(朝日新聞、昭和501231)

もう一つ絶対に許しがたい欺瞞は、熊谷エンジンを、いかにも未完成ないいかげんな技術であるかのように見せかけるために、この結論文章の中に突然に持ち出された「日産データ」である。実はこのデータには次のような歴史がかくされている。

 

 

【熊谷エンジンをつぶした「日産データ」】

熊谷教授が日産自動車に熊谷エンジンの原理を説明して実験を頼んだのは昭和47年の春頃である。この年の夏、たまたまGM ( General Motors) 社の 排ガス制御のセミナーに招待されていた教授は、前から考えていた Rich-lean Reactor方式を実験的にたしかめたうえ発表したいと思ったからである。

2ヵ月後に日産から報告があった。内容はこの方式では、期待されるようなNOxの低減はできないというものだった。ただし実験はしてなくて計算だけだった。しかもそれは、内燃機関の基礎理論もわかっていない者がやったものらしく、計算も初歩的な間違いだらけだった。教授はなにも理論を検討してくれと頼んだおぼえはない、報告書の誤りを指摘して再度実験してくれるように頼んだ。

2ヵ月たってふたたび日産から報告があった。また計算であった。このエンジンではサーマルリアクターの動作が不充分でCOやHCを充分につぶしきれないというものだった。今度は、前より実力のある者がおこなったもので、計算そのものには間違いがなかったが、排気ガスの温度の仮定が低過ぎるなど非現実的だった。教授はその点を指摘して、実験をしてくれるように頼んだ。これに対し日産は実験をことわった。このようにして4

ヵ月が空費されたのである。

教授は今度は三菱自動車に電話をして実験をたのんでみた。9月頃のことである。会社として引き受けることがきまり、すぐに実験がはじまった。そして翌48年の2月はじめにはエンジンだけの実験結果が出た。エンジンだけの結果ではあるが、専門家が見れば、これを車に積んだ時、51年度鋭制のクリアが充分に可能だと判断できる良い結果だった。つづいて三菱は実際に車についての実験に入った。

三菱での実験の結果を教授から聞いた日産自動車は「自分の所にも実験をさせてほしい」と頼みにきた。教授の所に中川専務がきて、「51年度規制をクリアするには君の方法しかない。ぜひ実験させてくれ」と頼んだという。教授はこの厚顔無恥な頼みを聞き入れた。

このようにして三菱、日産の両社で実験が進むようになった。それぞれから実験の進捗状況を聞き、相談をうけていた教授は、いっそ共同開発をした方が良いのではないかと思い、まず日産の中川専務にこのことを提案した。48年の夏頃のことである。中川専務は賛成であった。ところが数日後、日産からこの共同開発の件は御破算にしてくれという連絡があった。これと同時に熊谷エンジンの開発に対する熱意も急速にさめていったようである。

この問題に対する日産の姿勢が48年のはじめとなかばで大きく変わったことは明らかである。このことは、ちょうど同じ時期に米国でエネルギー危機を理由にマスキー法の75年規制と76年規制の適用大幅延期が決定されたことと無縁ではあるまい。

翌年、教授は、自動車技術会の春の学術講演会で排ガス浄化についてのこの方法を発表することにした。その準備のため三菱と日産に実験結果の発表を許してくれるように依頼した。三菱のは表9のデータである。これに対し、日産は自社名を出すことをことわった。学会での発表は普通、前刷りとスライドを使っておこなう。前刷りは印刷してあらかじめ参加者に配っておくものだが、ここには何を発表するかということと予備的な説明があるだけで肝心なデータはのせないのが普通である。肝心なデータは当日、スライドで発表する。熊谷教授もこの習慣に従って前刷りの原稿を書いて学会に送った。

ところがしばらくすると「君の前刷り原稿を見せてもらったが」といって日産の中川専務が訪ねてきた。前刷り原稿は印刷配布されるまでは誰も見てはならないはずだが、中川氏は自動車技術会の会長としての特権で見たものだろう。中川氏の来訪の趣旨は、前刷りの中に実験につかったエンジンの要目が二種類出ているが、その一つは、専門家が見れば、日産のものだとすぐわかる。これでは、日産は何故データをかくすかと言われるから、日産の社名も出してくれ、ということだった。こうして一転して両社ともに発表を認めることになった。

送られてきた日産のデータをよく検討してみると、熊谷エンジンとして動作していないことがわかった。教授はさっそく実験担当者に電話して、もっとまともた実験結果があるはずだから出すようにいった。出てきたデータは三菱のとほぼ同様なものであった。しかし、日産側の要求は、日産のデータを発表する時は、このデータばかりでなく前の悪い方のデータも必ず一緒に発表してくれというものだった。もしそうでなければデータの発表を断わるという。熊谷教授は、悪い方のデータを発表することを断わった。それは熊谷エンジンのデータとは言えないからである。結局日産のデータは一切発表しないことになった。

こうして、発表は三菱のデータだけを使っておこなわれた。5月21日のことである。51年度規制に関する環境庁の聴聞がはじまる2週間前のことであった。ところが、この画期的な発表に対して、まったくなんの反響もなかった。メーカー各社の排ガス問題担当の幹部はほとんどすべて出席していたが、教授の発表に対し、まともな質問一つ、問い合わせ一つなかった。意図的な黙殺であることが感じられた。

その後、環境庁での聴聞会がはじまると、日産は51年度規制を高飛車に拒否する姿勢を示した。その中でも中川専務は、日産を代表してもっとも戦闘的であった。「日本の環境基準には問題がある」という発言をしたのも中川専務である。教授は中川氏とは同じ専門を歩いてきたものとして親密な間柄であるが、日産専務としての中川氏のこの頃の発言や考え方には大いに失望を感じた。それで、7月頃大学で数時間以上にわたり、議論したこともある。だがこれも効果はなかったらしい。七大都市調査団の聴聞の席でももっとも挑戦的な態度を示したのは中川専務であった。熊谷教授は、この排ガス規制秋の陣をだまって見ていた。

こうして暫定規制値もきまったある日、教授は銀座のレストランで半年ぶりに中川氏と会った。教授は皮肉をこめて「おめでとう」と言った。窓外には八田委員長辞任の電光ニュースが流れていた。

厳正であるべき専門委員会の討議内容が暴露された結果、八田委員長は辞職を余儀なくされ、ほかの委員全員も辞職し、この専門委員会は解散を余儀なくされた。

 

 

国会で取り上げられる ウソを証言した社長

 

以上は私が熊谷教授から聞いた最終講義の内容である。私はこんな重大な話を聞き流しにしておくべきでないと感じた。そこで、熊谷エンジンの技術的評価については早速論文を書いて『公害研究』に投稿した(44号、1975)。開発の経緯についても、できるだけ広く友人に話をつたえた。たまたまこの話を伝え聞いた参議院議員の近藤忠孝氏(共産)はみずから教授をたずね、あらためて話を聞いた上、予算委員会に三菱と日産の社長を呼んで事実関係をただした。三菱自動車の久保社長は、三菱側の事情に関しては、熊谷教授の話のとおりに事実を認めた。日産の岩越社長はそうでなかった。熊谷教授の実験依頼に対し、計算だけをしたあげく断わったのではないかとの質間に対しては、こう答えている

岩越参考人「熊谷先生の案も一つの案でありますけれども、当社としてはやはり当社として実施可能なものをやっていくというのが方針であろうと思います。したがいまして、それも実験としていたしましたけれども、実験のデータが先ほど申しましたようなので、当社といたしましては、先生に対し先ほどのようなお答をしたわけです」

また三菱が実験に成功したと聞いて、今度は日産の方から実験をやらしてくれと頼んだのではないかとの質間に対しては、こう答えている。

岩越参考人「当社としては三菱さんがこういうデータができたから実験をやらしてくれというようなことを言ったことはございません。ただ、時間的にわれわれの方が実験がおくれておったということだけでございます」。

 

この証言を知って、熊谷教授は強い憤りを感じた。この社長には真実をまげることに対する怖れはないのだろうか。この人はかつて東京大学の経済学部で教えていたことがある。このときの講義をまとめた『自動車工業論』は、事実をふまえたすぐれた業績である。私は、そういう仕事をした人が、組織人としては何のためらいもなくウソが言えることに、非常に割りきれないものを感じた。

熊谷教授は三月に東大を停年退官した。中川氏にも電話で退官のあいさつをした。この時、中川氏はひどく興奮した調子で言った。「御忠告しておきますが、七大都市や共産党のしり馬に乗っているとおためになりませんよ」これに対し教授は静かに答えた。

「自分が公開の席上で発表したことについて質問をうけた場合、共産党に対してであろうと何であろうと、自分の責任で言える範囲について本当の事を話すというのは大学教授として当然のことです。そうしないことなど考えられもしない」

 

 

それから一年後 誰の目にも明らかになった

 

それから一年たった。新聞はトヨタをのぞく各社が53年度規制達成のメドをつげたことを報じた。とくに本田、東洋工業、三菱自動車の3社は税制面の優遇措置がえられるなら53年度規制対策車を52年度中にも売り出す用意があるという。

53年規制とは51年規制の新名称である。51年規制の当分延期をきめた専門委員会が解散を余儀なくされたあと、新たにつくられた専門委員会が、2年遅れで51年規制の完全実施をきめたのでそう呼ばれる。私たちの主張が正しかったことは、やっとだれの目にも明らかにたった。技術的可能性については決着がつけられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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