Thinkmap
Thinkmap とは何か
Think map とは、知的探求のために人がInternet上で自由に利用できる知識地図の名称です。知識地図とは、知識の世界を探検しょうとする人に役に立つはずの知識世界の地形図のことで、知りたい知識の内容と、その知識と他の知識との関係を示したものです。つまり知識の地理的な構造を表した図です。 このThinkmapは、Internet上のfreeの知識提供Serviceという点で、Wikipediaと似た点は多々ありますが、それは表面的なことであって、提供する知識は、両者でまったく違います。そうなる理由は、両者で知識の意味がまったく違うからです。
目次
■「頭の外の知識」と「頭の中の知識」
■ 知的な仕事は「頭の外の知識」の利用
■ 創造的な仕事は「頭の中の知識」を使う
■ 「頭の中の知識」の特徴 言葉よりImage
■ 「頭の中の世界」の構造
■ 「頭の中の世界」を表す地図 Route mapとSite map
■ 「意味がある知識」と「意味のある知識」の違い
■ 「頭の中の知識」はDataではなくEpisode
■ 知識と思考は「うらおもて」 Knowledge mapはThink map
本文
「頭の外の知識」と「頭の中の知識」
以前は事物に対する広い意味の認識とその記録を知識と呼んでいました。主な知識の記録は、もっぱら書物でした。しかし現代の情報処理技術の圧倒的発展の中で、この用法に変化が出て来ました。情報処理技術分野では音声、文書、絵画など記録、記憶、伝達できる形の知識をもっぱら情報と呼ぶのですが、一般社会にもそれが浸透してきたからです。つまり形ある知識は情報とも呼ばれるようになり、知識と情報の区別がなくなってしまったのが、一般の傾向です。しかしこれは、「もの」として形があり、「もの」として保存したり伝送したりすることの出来る知識についての話です。でも知識には「もの」として形がない知識もあります。頭で覚えていて口で人に伝える知識です。いわば「頭の中にある知識」です。これに対し形があり情報機器で取り扱われる知識は「頭の外にある知識」です。
頭の中の知識は人類の知識の原初の形です。しかし文字と紙が生まれると知識は形を取るようになりました。その後、印刷術が生まれて書物、新聞が普及し、さらに最近ではPersonal Computer (PC) が普及するようになると、形のある知識=情報の威力と影響力は社会を根本的に変えるほどのものとなりました。これに対し頭の中の知識は、人間の脳の能力で制限されていますから、情報としての量とか速度は古代の人間と変わりないはずです。したがって情報技術に支えられた「頭の外の知識」に較べたら「頭の中の知識」は記憶容量、正確性、処理速度のいずれを取っても較べものにならず、完全に過去の遺物になっているはずです。
でも実際はそうなっていません。未だに学校教育の中心は何かを憶えることです。特にそれが顕著なのが外国語修得です。単語、文法、発音のどれをとっても頭の中の知識だけが決め手とされています。つまり保存、伝達の観点から知識を見れば知識は単なる情報、Dataかもしれないが、知識の利用の観点から見ると、必ずしもそうではなさそうです。そこで知識の利用に関し少し考察してみます。
知的な仕事は「頭の外の知識」の利用
知識の利用のうち最重要なのは、知的な仕事(Intelligent Work)です。「知的な仕事」とは、知識を素材とし、これを知的能能力(Intelligence)で処理して、求められている意味ある結論を引き出す仕事です。ですから、知的な仕事に必要なのは、KnowledgeとIntelligenceです。このうちKnowledgeは、情報として表現できる「もの」であるのに対し、Intelligenceは、「思考」という人間の「能力」であると考えられています。ところがこの知的能力(Intelligence)も、内容に立ち入ってみると、Routineなものと、そうでないものがあることが分かります。さらに、人々が業務として机の上で行っている仕事を見ると、ほとんどすべてRoutine な仕事であることがわかります。文書を要約する仕事、いくつかの文書をもとに報告書を作る仕事、経理事務などすべてそうです。これらの仕事を処理しているの知的能力(Intelligence)は、Routine なIntelligence です。またこの様な仕事では、知的作業の処理の仕方が確立していて、Formatになっている場合が多いので、このRoutine Intelligence をFormat Intelligenceと言ってもようでしょう。
近年このFormat Intelligenceに大きな変化が出てきました。Computer技術の発展の結果、Format Intelligenceの大部分はComputer Softwareによって代行出来るようになったのです。最も進んだところでは、英文を日本文に変換するSoftware, 経理Dataを仕分けして複式帳簿を作るSoftware, 将棋や碁をさすSoftwareなどがあります。これらを総称してArtificial Intelligenceと呼びます。このことは情報Dataを処理する人間の思考能力と思われたIntelligenceも情報化されたことを意味します。 「頭の中の能力」が「頭の外の知識」になったということです。
創造的な仕事は「頭の中の知識」を使う
Intelligent Workの二つの要素である「知識」も「Intelligence」もDataとArtificial Intelligenceという二種の「頭の外の知識」に還元されることになりました。こうなると「頭の中の知識」がIntelligent Workの中で果たす役割は何であるかが問われます。この問いに答えるには、「IntelligenceはすべてArtificial Intelligenceで置き換え可能なFormat Intelligenceであるのか」と問うて見るのがよいでしょう。すでに述べたように会社で人々が業務としてこなす仕事は文書処理、翻訳、経理などRoutine Intelligenceで処理できる仕事がほとんどですが、そうでない課題もあります。常識ではどうしても説明できない現象に接して「どうなっているのか、なぜだろう」という疑問、予期しなかった状況の変化に接し「これからどうなるか」「どうしたらよいだろうか」という切実な課題です。本項に続いて示す具体例は、「アメリカは今後どうなるか」です。
このような問いに答えて問題解決の手順を教えてくれるようなFormatはありません。Formatとは課題で扱う対象の構造が相当程度類似化されていて、しかも同種の課題に繰り返し取り組む中で生まれるものだからです。例えば英文翻訳のFormatが可能なのは英文の構造が必ず Subject+Verb + Object の形をとることが分かっているからです。文章を見たらまず動詞を見つけ、次に名詞を主語と目的語に分ければ翻訳の骨格は出来てしまいます。でもこのFormatは日本語に通用しません。 もっと複雑だからです。「私はラーメン」のような文では、「私」は主語ではないし、大体、主語がありません。では日本語専用のFormatと思っても、日本語の文型構造は類似化が困難なので同様には成功していないようです。
Formatに頼れない課題に挑戦するIntelligenceをCreative Intelligenceと呼びます。Routine Intelligence の逆です。ではCreative Intelligenceはどんなものか。分かりやすい答えはFormat Intelligenceはどんな場合に有効なのかを反省した時に得られます。英語翻訳のFormatは英文という対象の構造が徹底的に研究され、S+V+Oという類型が確立しているから可能なのです。英文という対象の構造を離れて純粋な思考(Intelligence)があるのではありません。人は思考する時、知識の具体的内容から離れて純粋に思考するのではありません。それでもすでにFormatがあって作業する場合は、思考は頭で行いつつも、知識は頭の外にある知識Dataを使います。そのほうが正確だし、情報量が桁違いだからです。ところがFormatなしのCreativeな仕事ではそうはいきません。思考は知識の具体的内容をいちいち調べながら進める必要がありますので、知識も頭の中にあることが必要です。
「頭の中の知識」の特徴 言葉よりImage
頭の中の知識の世界がどんな構造になっているかについては、まだ科学的研究はないようです。心の中のことは客観的な観察が出来ないからでしょう。でも心の中のことは、自分の心の中であれば観察できますので「客観的実証」にこだわらなければかなりのことがいえます。まず、頭の中の知識として重要なのはScene あるいはImageの記憶です。心に残る記憶はその時の光景Sceneと結びついています。また日常生活上一番重要な記憶「何はどこにあるか」もImageで憶えています。たとえは、駅から自分の家に帰る道順も、歩くに従って順々に変わる街のImageを憶えているので、必要なところで曲がれるのでしょう。「20メートル行って右に」と憶えている訳ではありません。
記憶がImage主体であるのは「もの」を扱う生活をしている技術者、科学者の場合当然です。機械屋はエンジンの内部の詳細を、物理屋なら複雑な3次元の流れと力を、化学者ならタンパク質の分解の様子を、Model化したImageで頭の中に想像することが出来ます。ですから彼等はいつも絵を描いて説明します。絵こそ彼等の頭の中の知識の再現でしょう。そしてImageの次に大事な体感的知識はSoundでしょう。語学の得意な人は耳がよいと言われますが、これは耳の問題ではなく、初めて聞いた外国語のAccentとIntonationを意味と結びつけて完全に憶えてしまう能力、それを支えている知識構造だと思います。
それでは「もの」と直接は結びつかない知識、主として文字情報である知識がどのようにして頭に入り、保存され、どんな形で知識世界を構成しているのでしょうか。すぐ思いつくのは「暗記」、とくに「試験のための教科書の丸暗記」ですが、これは大体すぐ忘れてしまい、自分の頭で考えることには役に立ちません。自分の頭の中に知識世界を作ったことにならないので、話は別です。
事物やその情報が頭の中に定着するのは印象とか関心とか状況とか個人的経験を通じてですから、個人の頭の中にある知識は決して外部情報の丸憶えではありません。例えば「人間」とか「愛」について知識を問うた時、百科事典のままの答えをする人はいないと思います。事物やその情報が頭の中に定着するのはあくまで個人的な関心や経験、あるいは重要性を通じてですから知識は個人的色彩の強いものです。しかしそれが形をとって外に表れる時は、言語表現の制約がありますから、個性はあっても他者が理解できる内容となりますが、辞書や教科書にある知識とはよほど異なっているはずです。
「頭の中の世界」の構造
頭の中の知識は、「人間」とか「愛」とか見出し語ごとに分類されたものではないでしょう。しかもその内容は、辞書や教科書のような文章の形であるとは限りません。記憶に残った文書の断片や自身の経験や、絶えず繰り返し考えている思考結果など、「多様なもの」の一まとめでしょう。ですからそれを外に出そうとすると、情報を引き出すような簡単な訳に行かず、大きな知的努力を必要とします。そしてでて来る結果はその知識が使われる目的や状況によって相当に変わって来るのが普通です。
つまり頭の中の知識の世界は見出し語ごとに整理された引き出しのようではないのです。そんなやり方では、一つの見出し語ではとても表しきれない現実の世界での体験を、知識として頭の中に格納することが出来ないからです。それよりも重大なのは、それでは知識をもとに何かを考えることが出来ないでしょう。どんな膨大完備した知識データベースも、それ自身が課題について考えて、答えをだすことができないのと同じです。
自分の頭で考える人の「頭の中の世界」はどうなっているかは、確かなことは未だ誰も答えることは出来ませんが、頭の中で「考える」という行為のImageとしては、筆者の実感から、一つの強力なModel提案することが出来ます。それは我々は住む世界になぞらえて「知識の世界」を地理を想像し、「考えること」を目的地に向かう旅行になぞらえることです。この知識の世界では、内容が似た知識は、寄り集まってCommunity からTown,さらに集まるとCity を形成します。そして、本人の関心や問題意識からこれらのTownやCityの間に関連があると、これらの地域は、道Routeで結ばれます。また問題の重要性に応じて高さ、高度が決まってきます。峯が高くなっているはずです。
「頭の中の世界」を表す地図 Route mapとSite map
知識の世界が我々の住む世界に似ていると考えるなら、我々が住む世界が地図で表されるように知識の世界も地図で表されるはずです。これは地図になるのか、本物の地図との対応を手がかりに考えて行きましょう。まず地図は一枚ではありません。カバーする範囲に応じて世界地図、地域地図、国の地図、地方の地図と段階に応じていくらでも詳しい地図が用意されています。また用途によって登山用の地形地図、運転用の道路地図、外国旅行用のGuide mapなどがあります。これから私が説明しようとするKnowledge mapはこのうちのTravel guide mapに近いものです。そのつもりで考えて下さい。
Travel mapと同じくKnowledge mapにはRoute mapとSite mapがあります。Route mapは出発点から到達点までどんなRouteを通るか、途中の経路(道、交通機関)と経由滞在place(都市)を示したものです。Place mapはこのPlaceの案内をするものです。でもPlaceMapは一枚ではありません。そのPlace に滞在の目的はその都市で見るべきSite(名所、美術館等)をいくつも見ることですからこれらのSiteの所在と経路(道、交通機関)を示したRoute mapとSiteの内部を案内するSite mapの2種が必要になります。このSite mapはまたRoute mapとSubsite mapで構成されているはずです。
Knowledge mapもまったく同様にRoute mapとEpisode mapで構成されているはずです。EpisodeはTravel route上のPlace(都市)に相当するものでKnowledge map上、出発点から到達点(結論)にいたるまでのRoute上で途中に利用する知識です。一方Knowledge map上のRouteはTravelのRouteが旅行目的と目的地によって決まるように、知識の世界をTravelする目的、つまり知的探求の目的で決まります。それは考えて答えを見つけたい課題ということです。したがって課題を解決しようと知識の世界をいろいろ探索する中で中継点として利用できそうな知識のEpisodeがいろいろ見えて来、それをつないだRouteも分かるのが実際だと思います。
「意味がある知識」と「意味のある知識」の違い
頭の中の知識を頭の外の知識とくらべたとき、頭の外の知識にはなくて、頭の中の知識にしかない特色が一つあります。それは「意味のある知識」ということです。これは「意味がある知識」とは違います。「意味がある知識」とは知識自身の問題であるのに対し、「意味のある知識」とは知識を記憶し利用しようとする人の側の問題だからです。英語ではMeaningfulとSignificantの違いになります。例えば一つの文章を取った場合、使われている単語にはすべて辞書上の意味Meaningがありますからこれを組み合わせた論理的な文章なら、Nonsenseな主張かどうかは別にして「意味がある」文章です。しかし、社会的には高く評価されているどんな立派な文章もその人に予備知識がなく関心の外であるなら「意味ある文章」にはなりません。頭の中の知識はなぜ「意味ある知識」なのか。それは人は意味あるものでなければ記憶できないからです。では意味あるものとは何か。反語的になりますが、記憶されるものが意味あるものです。では何が記憶されるのか、といえば「関心の深いこと」と「関係知識のあること」というのが常識的な答えでしょう。そこで更に突っ込んで「それはなぜか」の疑問には「頭の中での知識の世界」とそこでの「知識の使われ方」を知識Mapを駆使して考えて見ると分かります。
「頭の中の知識」はDataではなくEpisode
具体的には人が「知識をもとに考える」という行為を取り上げてみます。すでに説明したように課題について考え、回答を見出すのは地図上に新たなRouteを見出すことです。RouteとはGoalに到る途中にたどるいくつかの知識を連ねたものです。頭の中の知識が頭の外の知識と違う点は知識がDataではなくEpisodeだという点です。Episodeは一まとまりの話ということです。そして一まとまりとはその人にとって意味あり、ということです。一瞬の光景もそれが他の瞬間と区別されてEpisodeになりうるのは、単なる信号ではなく、その人にとって意味ある内容がある一まとまりだからです。これに対し頭の外の知識は、個人的な感慨や印象を除いたものが知識として評価されるので、無味無臭、意味を切り捨てたDataです。頭の中の知識がDataである知識と違うもう一つの点は、知識と知識とのつながり方です。Dataとしての知識は、見出し語を通じて機械的につながりNetworkを構成します。これに対し頭の中の知識がつながるのは、考えるという行為を通じてです。「知識がEpisode」であること、知識と知識が「個人の考えを通じてつながっている」というのが、頭の中の知識が外にあるData知識とは違う特長です。
知識と思考は「うらおもて」 Knowledge mapはThink map
Data情報を知識と考える立場では知識は人間の思考から独立に存在するDigital信号であります。これに対し知識を記憶可能な意味ある知識、知的世界のRoute map上のEpisodeと考える立場では、知識と思考は表と裏のように結びついています。Data知識の立場では、これを駆使する思考という操作は神秘に包まれていますが、記憶可能知識の立場では思考はKnowledge map上の操作として知識そのものと同様に理解可能になります。つまり知識と思考は一体のものになります。このことを根拠にKnowledge mapをもっと呼びやすく、イメージの鮮明なThink mapと呼ぼうと思います。